日本国内の20代人口に占める外国人住民は2025年に9・5%になったという。共同通信によると、20代の日本人が10年間で103万人減って1164万人となったのに対し、20代の外国人は68万人増の122万人になった。
少子高齢化で深刻化する労働力不足、そこを外国人で埋めようという産業界の強いニーズもこうした数字を牽引したと思われる。
日本語学校もまた外国人の“労働供給装置”の1つである。遅刻・欠席・居眠りの常習犯を前に、表向きは留学生ビザを取得しつつ「実のところは労働力」という矛盾に、目をつぶらされ続けている。
25年12月、都内のある日本語学校ではある不安が高まっていた。それは留学生の進学先がなかなか決まらないということだった。
中には「当校からは長年学生を送り続けてきた間柄なのに」と、ここに来て急に閉じられてしまった進学先の扉をいぶかる声もあった。
あるベトナム人留学生が中国の有名企業にチャレンジしたが書類選考で落ち、都内には進学先が見つからず、やむなく北関東の専門学校に行くネパール人留学生もいた。
また、あるミャンマー人留学生は「自分の能力には自信があるが、日本社会はそれを認めてくれない」と嘆き、やむなく“浪人(予備校通い)”を選択した。
「人材のミスマッチ」ゆえの結果なのかもしれないが、ここに来て「ダブつき」が始まった可能性がある。これを裏付ける数字はないが、受け入れ間口が広いゆえ、「出口で詰まる」という現象が一段と深刻化する兆しだとみるべきではないだろうか。
もとより、日本語学校への入学は比較的ビザがおりやすい手段として利用されてきた。「学生ビザ+就労+大量流入」のモデルは世界的に見ても例外的で、他国では「入口で数をコントロール」するという制度設計になっている。
一方、「企業とのミスマッチ」は長年議論されてきたが、大きく改善する様子はない。その1つの要因として考えられるのが「企業側の不都合」だ。外国人を入れればこれまでの「暗黙律」が通じなくなり、ルールを明文化し、数字をつまびらかにしなければならなくなる。
話は変わるが、先日ドイツ在住の日本人と話をする機会があった。話の内容は「日本を含むアジアの飲食店がドイツで成功できるか」についてだった。先方は開口一番、こう言った。「ドイツではすべてが制度でありルールなので、アジア特有の“人情的な相互扶助”はあり得ない」というものだった。
先進国ではすでにこの水準に入っているのだ、ということを改めて自覚した。同時に今なお日本=アジアに脈打つ「そこをなんとか」「お互い様じゃないか」に甘え続けていたら先はない…、そんなことを痛感した。
外国人材についていえば、彼らとの共存するなら自らも変わらなければならないということなのかもしれない。
