6月29日付の東京新聞に「夢託した日本 支援不十分」という記事があった。サブタイトルは「国の政策なのに 物価高追い打ち」というもの。希望を抱いて来日したミャンマー人が、物価高騰で大変な思いをしていることを訴える内容が書かれていた。
ミャンマーは2021年に起こったクーデターで混乱、24年からは徴兵制の運用が始まり、若者が出国することが難しくなっている。記事には「徴兵から逃れたい」という動機で日本留学を選んだミャンマー人の留学生が、滞在先の地方都市でバイトが見つからず、来学期の学費と寮費の支払いに困っている様子が描写されている。
この留学生の親には収入がなく、このまま行けばこのミャンマー人はビザの延長ができず、不法滞在者になってしまう。しかしこれを「留学生招致が国策なのに、支援が不十分」と結論付けてしまうのにはちょっと違和感がある。
留学目的は徴兵逃れ
記事に書かれているミャンマー人の来日動機は「日本なら徴兵もなく教育を受けられる」というものだ。そこには「徴兵から逃れたい」という真の目的が滲む。
しかし、このような来日動機は留学生ビザの付与の要件には当たらない。申請書類には仲介業者が「日本に関心があって、日本語を学んで仕事に生かしたい」など、それなりの理由を書かせるだろうが、建前で「日本で勉強したい」とこじつけるのは申請上、適切ではない。
また「徴兵逃れ」は難民条約の項目にも当たらない。もとより韓国にも徴兵制があるが、徴兵制から逃れたい学生に日本政府はビザを発給することはないだろう。
仮に日本人が留学する場合を考えてみよう。まず考えるのは、果たして年間数百万円を負担できるのかの経済力があるかだ。それができなければ、留学計画は断念するしかない。
恐らくミャンマーでもブローカーが暗躍しているのだろう。「徴兵を逃れたい学生」に仲介業者がアプローチし、技能実習生か留学生ならビザが簡単に下りると耳元でささやいている様子は容易に想像がつく。
この件の最大の問題は、支弁能力もないのに「留学生」として日本に来てしまうとうことなのだ。それを「留学生招致は国策なのにサポートがない」というのは、ロジックとしておかしい。
記事掲載の背景に蔓延する排外主義
この記事が書かれた背景には、蔓延する排外主義という昨今の日本の世相が大きく絡んでいる。そこに一石を投じる価値はあるが、記事を読んだ人々の中には「ミャンマー人かわいそう、経済的サポートしてあげて」という印象だけが残る。
かわいそうなアジアの人材には「支援が喫緊」――、そういう結論の導き方だと日本人のアジア人理解は一向に進まない。
世界の出稼ぎ労働者は先進国の国民がやらない仕事をやることで報酬を得、それを本国に送金して豊かになっていく。留学生は一定期間、苦しい思いで勉強しその結果を自己実現につなげていく。留学にせよ労働にせよ、渡航の選択は自己リスクであり、豊かになれるかどうかのその結果も自分次第なのである。
国の課題はもっと別のところにある。日本の経済界が欲する労働力の供給のために、在留資格を便宜的に利用し、「偽装」という問題を累積させてしまう実態や、やみくもに留学生=労働力と人口減を補う人々としか見ていない=を増やすために却ってトラブル増となってしまう実態に目を向けなければならない。外国人の受け入れには根本的な制度の歪みが潜在するのだ。
「ミャンマー人かわいそう、だから経済的サポートを」では、余計に排外主義を煽るだけなのである。