· 

ベルギーの首都ブリュッセルの移民街を歩いた

ベルギーの首都ブリュッセルの移民街を歩いた。

ベルギー王国は“欧州のヘソ”の部分に位置する。フランス・ドイツ・オランダと国境を有する中心にあり、古くから交通の要所でもあった。小国でありながら、欧州委員会や欧州議会・欧州理事会などのEU(27カ国加盟)の機関を集めるのも、この地理的な理由からだと言われている。そんなベルギーは現在、欧州の中でも移民が進む国の1つだ。

 

首都ブリュッセルには、世界から多くの人を集める観光地「グランプラス」がある一方、ここからさほど遠くないところに移民街がある。スカールベーク地区にある移民街は中心街のど真ん中、市庁舎のお膝元にあり、言ってみれば、霞が関の足元に移民たちの生活圏があるという感じだ。

 

ベルギーの移民の歴史は、第1期はほぼ 1920年代から、第2期は1950-60年代、第3期は1990年代の主に3ステージによって形成されるが、この移民街は、70年代のオイルショックで都心の中心街にあった大企業やプロジェクトが撤退、仕事を失った出稼ぎ労働者が取り残される形で、荒れてスラム化したエリアに定着したと言われている。当時、ベルギー政府は、高度経済成長期で不足した労働力を、政策的にアフリカから呼び寄せていた。

 

ベルギーの移民は、モロッコ人・トルコ人・アルジェリア人・チュニジア人などのイスラム系移民やスペイン人が主流と言われるが、スカールベーク地区はトルコ系住民が多く住んでいる。案内人は「トルコに行かなくても、ここがもうトルコなのさ」と話していたが、私には「くれぐれも車から外に出ないように」と慎重な行動を要求した。日本人旅行客がフラフラできるほど治安がいいとは言えないようだ。

 

市内には「スカールベーク地区」以外にも「モーレンビーク地区」「ラーケン地区」が移民街だといわれ、移民はこの“クレセント・ゾーン”と呼ばれる3地区に集中している。2001年の911アメリカ同時多発テロ以降、ここに国際テロ組織が入り込み、「ジハード(聖戦)主義」を唱える過激派の訓練と武装、そして「テロ実行の拠点」となっていった。2016322日には、ブリュッセルで連続テロ事件が発生している。

 

ベルギーは労働不足を解決するために移民を受け入れてきた。2021年の人口は約1157万人、外国籍は12.4%、また移民背景を持つベルギー国籍が19.7%だ。2つを合わせると32%で、3人に1 人ぐらいが外国籍もしくは移民背景を持っている人だということになる。一方でベルギーには、昔から異なる言語や文化を認め合いながら、1つの国を築いてきたという素地がある。

 

筑波大学人文社会系のヴァンバーレン・ルート准教授は2021年に行った「ベルギーの多文化共生と移民問題」と題した講演で以下のように述べている。

 

 

        1990年代から移民の背景の多様化、人数の増加に伴い、国内で移民との対立が非常に高まった。

        右翼派政党の支持率が増加。

        移民が「社会保障もしくは福祉を悪用している」という考えを持つ人が増加。

        課題は移民が新しく住み着いた社会でどう活躍できるか。

        市民化講習、キャリア・パス支援の実施。

        市民化講習合格証明書が発行されないと在留資格申請や保持ができない。

        オランダ語の習得、ベルギーの歴史や地理、 政治制度や社会や習慣などについての学習は必須。そのための選択言語も多い。

 

中でも「市民化講習、キャリア・パス支援の実施」「市民化講習合格証明書が発行されないと在留資格申請や保持ができない」「オランダ語の習得、ベルギーの歴史や地理、 政治制度や社会や習慣などについての学習は必須」という点は、今後の日本にとっても多分に示唆を含んでいるのではないだろうか。

 

受け入れ過ぎて深刻な社会問題を抱えるようになったスウェーデンは、これまでの寛容な政策を転換させ、「スウェーデンの開放的で自由な社会を維持するためには、スウェーデン社会の一員となるための条件をより明確かつ厳格にしなければならない」(同国政府)と表明するに至っている。

 

「その国の社会の一員となるための条件」とは、「その国の言葉の習得、その国の歴史や地理、政治制度や社会習慣などについて学習してもらうこと」なのだと言えるだろう。

 

日本は在留資格を取得するための条件を緩和させているが、「あとの祭り」とならないよう、早晩、このような措置を講じたほうがいいのではないだろうか。(姫田小夏 25年6月3日)